ことわざはバカ
皆さんは ”ことわざ”、好きですか?
私は大嫌いである。
ことわざを全て論破したいと思っている。
正確には、”ことわざを作った人” を論破したい。
まず、定番中の定番
「豚の真珠」
これについて物申す。
言わずと知れているが、
「値打ちが分からない者に、価値があるものを与えても無駄であること」 という意味である。
これについてはまず、人間が勝手に真珠に価値を見出しただけなのに、わざわざ豚をバカにしたような言い方をする必要はない。いきなり人間の価値観の土俵に立たされた豚がかわいそうである。
逆に、豚たちが ”人間に雑草” とか言って、「あいつら、雑草の価値分かんないんだぜ?ww あんなに美味いのにwww」とか言ってきたら腹立たしいこと極まりないであろう。
また、厳密にいえば豚が真珠の価値を知らないとも言い切れない。
人間同様に、「真珠大好き!」と思っている可能性もある。
つまり、「豚に真珠」ということわざは、”言葉の技”という割に大して上手いことも言えてないのである。
このことわざを作った人は恐らく「上手いだろ」と言わんばかりのドヤ顔で言ったのであろうが、別に上手くはない。
さらに問題なのが、このことわざを最初に言ったときに、その場にいた周りの人間である。
「なんやそれw おもんなw」
と一蹴すれば良かったものを
「うまい!お前天才!」
と持ち上げたばかりに、ここまで日本全国に広まってしまったのであろう。
また、類語として「猫に小判」がある。
どちらが先に作られた言葉なのかは知らないが、仮に「猫に小判」が後に作られたのだとしたら、これを言った人間は確実にアホでさる。
先に作られた「豚に真珠」を知った上で、被せとして新たな例えを出したのであれば、まったく面白くないし、むしろ先方の「豚に真珠」との盛大な巻き込み事故を起こしているだけだ。
また、「豚に真珠」を知らなかったのであれば、「豚に真珠」という常識的な言葉すら知らない低能の発言に耳を傾ける必要はなかったはずである。
以上が、私の論破の全文だが、
「そこまで言うなら、お前が作れ」
ということになるので上記二つに代わることわざを発明した。
「私にヴィトン」
これがいいだろう。軽い自虐なので誰も傷つかないし、愛想笑いぐらいは狙える。
ただ、私自身は絶対使わないが。
結論、「ことわざはいらない」
”天秤にかけたら” という言葉はおかしい
高校時代、現代文の授業での出来事である。
ある小説の一節に対して、
「Aの文とBの文、どちらが重要か」
という問いが出された。
その結論として先生が
「~ということで、天秤にかけるとAの文の方が上だよね。」
と言った。
いやいやいや、天秤で上ってことは軽いってことやん。
重要じゃないってことやん。
じゃあBの方が重要ってことなん?
ややこしいねん。
誰なん?天秤にかけたらって例え考えたやつ。
野球の”ボール”はおかしい
野球には”ストライク”とボール”がある。
”ストライク”は分かる。
「ストライィィックッ!!」(バシッ)って感じで聞いてて気持ちが良い。
ただ、”ボール”は許さない。
なんでボール(球)を使う競技でボールという言葉を使うんだ。
ややこしいだろ。
「ボールを投げて、ボールになった」ってもう訳分からんやん。
命名した人の神経を疑うって話でした。
子どもが好きすぎて子ども欲しくない
私は子どもが大好きだ。
どんな性格でも、どんな顔でも、みんな平等に可愛いと思う。
だから、子どもは欲しくない。
「は?」って思ったであろう。
要は、”あんなに可愛い子どもをこんなに面倒くさい世の中に生み出すのが可哀想”
と、いうことだ。
子どもを産んだからには幸せになって欲しいどころか、人生で一度も悲しい思いをして欲しくない。
でも、そんなことは無理だ。
私の「子どもが欲しい」という欲望だけでこの辛い世界に生み出すのは余りに酷だと思う。
ただ生物学的には確実に間違った考えなので、産んでる人を否定するわけではない。